古関裕而が朝ドラ「エール」のモデルに!代表曲は?

2020年春からスタートする朝ドラエール

窪田正孝さん演じる主人公の古山裕一のモデルは、作曲の古関裕而(こせきゆうじ)さん。

日本を代表する作曲家です。

東京オリンピックマーチや六甲おろしを作曲した人というと、わかりやすいでしょうか?

「エール」は原作がないドラマですが、古関さんの生涯を元に作られるそうです。

古関裕而さんについて、代表曲なども調べてみました。

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古関裕而プロフィール

  • 読み方:こせきゆうじ
  • 本名:古關 勇治(読み方同じ)
  • 生年月日:1909年8月11日
  • 出身地:福島県

古関さんは呉服店「喜多三(きたさん)」に生まれました。

音楽好きの父の影響で、家の中ではいつも音楽がかかっていました。

ほとんど独学で作曲の道を志します。

近所に鈴木喜八という5歳年上の少年がいて、のちに作詞家の野村俊夫となって数々の曲を世に送り出すこととなる人です。

小学校の頃から曲作りをするなど、すでに才能を発揮。

作曲家の金須嘉之進に師事し、日本人として初めて国際的コンクールに入選。

軍歌や応援歌を多く作っており、阪神タイガースの「六甲おろし」読売ジャイアンツの「巨人軍の歌」などが有名です。

東京オリンピックマーチも作曲しました。

映画音楽は「モスラ」のテーマが有名ですね。

テレビ番組「オールスター家族対抗歌合戦」の司会を萩本欽一さんと勤めています。

1989年8月、脳梗塞のため80歳で死去しました。

妻・金子との出会い

1929年イギリスロンドンのチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し入賞。

応募曲は管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』

これは日本人初の国際的作曲コンクールにおける入賞であり、当時の新聞でも大々的に報道されました。

この報道を知った女性が古関さんにファンレターを送ります。

それが後に妻となる内山金子(うちやまきんこ)さん。

当時は声楽家志望でした。

その後、文通を続け1930年に結婚。

古関さんは20歳、金子さんは18歳でした。

金子さんは結婚してから音楽学校へ入学。

舞台出演や放送オペラなどの仕事をしました。

ちょうど戦争が激化したため歌の仕事が減り、1958年「婦人文芸」に参加し、詩や随筆を寄稿。

1980年に乳がんの全身転移で死去しました。

古関さんより10年近く早く亡くなっているのです。

古関さんの作曲家としての活動も1977年頃まででした。

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息子は古関正裕!

2020年2月の取材当時で73歳の古関正裕さんが息子です。

正裕さんは作曲家ではなく、現在は作家として活動。

お父さんの影響で幼少から音楽に親しんでいました。

しかし偉大な父と同じ業界に入っても、陰に隠れてしまうと思い音大進学を断念。

早稲田大学を卒業し、日本経済新聞社に入社。

それでも音楽への情熱はあり、フォークソングブームの中でヴィレッジ・シンガーズというバンドを結成。

ヴィレッジ・シンガーズはプロデビューしているのですが、正裕さんはデビュー前に脱退。

日本経済新聞社を定年退職した後、婦人服のセレクトショップを経営。

その傍らに小説を執筆。

2013年にライブユニット「喜多三」を結成。

この「喜多三」というのは、お父さんの実家の呉服店の名前ですよね。

音楽ではプロにならなかったけど、ずっと音楽に触れ続けているようです。

古関裕而の代表曲は?

今でもYou Tubeで聞ける曲がありましたので、ご紹介します。

まずは東京オリンピックのときに作られたこちら

有名すぎる阪神タイガースの応援歌「六甲おろし

映画の曲だった「長崎の鐘

こちらも映画の曲「モスラの歌

戦前から音楽家だった人の曲が、いまでも親しまれているってすごいですよね。

まとめ

2020年春のNHk朝ドラ「エール」

主人公のモデルは作曲家の古関裕而さん。

古関さんは昭和の大作曲家です。

六甲おろし、オリンピックマーチ、モスラの歌など誰もが聞いたことがある代表曲があります。

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